日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル
世界に通用する日本のジャズ・ミュージシャンは多く存在しておりますが、代表的な日本のジャズシンガーと言われてすぐに名前を挙げられる方は、意外に少ないかもしれません。
日本におけるジャズシンガーの歴史は、それこそ戦前から始まったものです。
戦後になると、ジャズを下地とした歌謡曲のヒット曲が次々と生まれ、大衆に愛されるスターも多く誕生しました。
そんな歴史を踏まえつつ、今回の記事では幅広い視点で日本のジャズシンガーをピックアップ!
ジャズの素養を持つ往年の大スターから純然たるジャズシンガー、実はジャズを歌っていた意外なあのアーティストまで、バラエティー豊かにお届けします!
もくじ
- 日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル
- I don’t know why笈田敏夫
- Tennessee Waltz綾戸智恵
- 山のロザリアスリー・グレイセス
- 東京ブギウギ笠置シヅ子
- It Don’t Mean A Thing小林桂
- マシュ・ケ・ナダ由紀さおり
- Come on a My House江利チエミ
- 悲しきハート弘田三枝子
- and I’ll sing once more紗理
- Lover, Come Back to Me美空ひばり
- フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン八代亜紀
- サヨナラナンシー梅木
- リンゴの木の下でディック・ミネ
- 有楽町で逢いましょうフランク永井
- Over the rainbow島袋寛子
- ケ・セラ・セラペギー葉山
- You’d be so Nice to Come Home toKEIKO LEE
- ムード・スウィングスAKIKO
- Smile松田聖子
- Sioux City Sueティーブ・釜萢
- チョコレイト・ディスコ土岐麻子
- My Funny ValentineTOKU
- So Many Stars鈴木重子
- Take Me In Your Armsmaya
- 二人でお酒をウィリアムス 浩子
- Little WaltzMeg
日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル
I don’t know why笈田敏夫
笈田敏夫さんの名前の漢字を、ぱっと見ただけでさらりと読める方は多くはないかもしれませんが、読み方は「おいだ」です。
ドイツはベルリン生まれの笈田敏夫さんは、戦後の日本を代表するジャズ・シンガーの1人であり、1953年から8年連続で紅白歌合戦に出場を果たしてします。
不祥事を起こしてしまい、芸能界から追放された時期もありましたが、死後に贈呈された2003年度の日本ジャズボーカル賞及び第45回日本レコード大賞の特別功労賞をはじめとして、数々の栄誉ある音楽賞のみならず、1995年には勲四等瑞宝章を受章するなど、日本の文化史において重要な存在として記憶され続ける偉人なのですね。
あのビング・クロスビーさんの影響でジャズを歌い始めたという笈田さんが持つ深みのある艶っぽい歌声、蝶ネクタイとタキシードでばっちり決めたダンディなスタイルは、まさに戦後の日本ジャズの第一人者と呼ぶにふさわしい存在感と実力の持ち主です!
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Tennessee Waltz綾戸智恵
小学生のころから両親の影響でジャズが好きだった彼女は、高校卒業後渡米し、アメリカで演奏活動を始めました。
その後1991年日本に帰国してから本格的にジャズボーカリストとして活動をはじめ、2003年には紅白歌合戦の出場も果たします。
魂を揺さぶられるようなブルージーな歌唱に加え、大阪出身の気さくな女性、といった親しみやすい一面も彼女の魅力のひとつで、母親の介護を通して、テレビCMやテレビのコメンテーターとしても人気を集めています。
山のロザリアスリー・グレイセス
戦後を代表する日本の女性コーラス・グループといえば、スリー・グレイセスの存在は欠かせません。
ジャズ演奏家であり、ダークダックスやボニージャックスといったビッグネームを世に送り出した小島正雄さんのもとで1958年に結成された3人組の彼女たちは、翌年にリリースされたロシア民謡『山のロザリア』が大ヒットを記録して、1962年と63年の紅白歌合戦に出場を果たします。
1967年には家庭を優先して活動を休止しますが、20数年後の1989年に再結成を果たし、同年にサントリー・ワイン・CFイメージソング『想い出してウクレレ』を発表。
以降は多くのCM曲やテレビ番組へ出演、アメリカのジャズ・フェスティバルへの参加など精力的な活動を続けています。
あの国民的なアニメソング『魔法使いサリー』の歌唱を担当したのも、スリー・グレイセスなのですよ!
ジャズの素養を持ち合わせた、日本が誇るコーラス・グループが残した素晴らしい名曲の数々を、ぜひベスト盤などで聴いてみてくださいね。
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東京ブギウギ笠置シヅ子
「ブギの女王」として知られ、戦後を代表するシンガーの1人である笠置シヅ子さん。
戦前から舞台などで活躍し、日本のジャズ・シーンにおいて多大な影響を及ぼした作曲家、服部良一さんと出会い、ジャズ歌手として売り出し始めます。
本格的に大衆へと知られ始めたのは戦後のことで、先述した服部さんが作曲を手がけて1947年にリリースした『東京ブギウギ』が大ヒットを記録。
戦後の日本を象徴する楽曲として、現代まで愛され続ける定番の名曲となりました。
ブギのリズムに乗って激しく踊りながら歌う笠置さんの姿は、戦後の開放的な空気を顕著に表しているとも言われております。
日本のジャズの歴史や当時の日本のカルチャーを知る上でも欠かせない、偉大な方ですよ!
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It Don’t Mean A Thing小林桂
祖父にジャズ・スチールギター奏者の村上一徳さん、父にジャズピアニストの小林洋さん、母にジャズボーカリストの村上京子さんを持つ、ジャズ界のサラブレッドともいえる小林桂さん。
繊細なハイトーンボイスが魅力的ですよね。
子供のころはクラシック・バレエの才能がすばらしく、英国ロイヤル・バレエ・アカデミーの世界共通検定試験で最年少、最高点を獲得したこともあったそうですが、ジャズに興味を持ちだし、15歳くらいからジャズでの活動をはじめたそうです。
マシュ・ケ・ナダ由紀さおり
幼いころからお姉さんの安田祥子さんとともに童謡歌手として活動を始め、1965年にソロ・デビュー。
残念ながらヒットには恵まれませんでしたが、現在の名義で1969年に再デビューを果たし、リリースした『夜明けのスキャット』が大ヒットを記録、一躍人気者となった由紀さおりさん。
自らを「シンガー・ソング・コメディアン」と自称して、女優やテレビ番組の司会などさまざまな分野で大活躍した由紀さんですが、2011年にアメリカのジャズ・グループ、ピンク・マルティーニとコラボレーションしたアルバム『1969』をリリース。
ほとんどの楽曲を日本語で歌いながらも、世界中で大ヒットを記録という快挙を成し遂げましたのです。
ジャズを軸としながらも、歌謡曲としても楽しめる作品ですから、ぜひ一聴を。
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